スペシャルインタビュー

special interview
セキ ユウティン選手

常に上を目指して、
ステージを広げていきたい

ショット後のセキ・ユウティン選手
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セキ ユウティン選手の『We are the bridge

ハイケムは、セキ ユウティン選手が日本と中国に深いバックグラウンドを持ち、JLPGAツアー優勝や米国LPGAツアー参加など更なる挑戦を続ける姿に強く共感し、
スポンサー契約を締結しています。
今回はセキ ユウティン選手応援ページの開設を記念して、スペシャルインタビューを実施しました!
7歳の時からゴルフに取り組む真摯な姿勢とそのまっすぐなお人柄について、インタビューを通じて感じることができました。
インタビューでは、セキ ユウティン選手のこれまでの歩みや、セキ ユウティン選手の「We are the BRIDGE」エピソードについても語っていただきました。
ぜひ、セキ ユウティン選手の魅力を存分に感じていただければと思います。

セキ・ユウティン選手の横顔

─5歳まで日本で過ごされたとお聞きしましたが、
その頃の思い出を教えていただけますか?

日本の幼稚園での楽しい日々が鮮明に残っています。
幼稚園では、お砂場遊びで色々な作品を作ったり、プールで金魚すくいを楽しんだりしたりしました。父の仕事の関係で2歳までは福井でしたが、その後は京都に引っ越しました。
父によれば、当時は京都弁も話せたそうです(笑)。

─その後、中国で7歳からゴルフを始められたとお聞きしました。そのきっかけを教えてください。

7歳の夏休みに、父にゴルフ場に連れて行ってもらったのがきっかけです。
父は日本の会社で働いていたので、ゴルフに馴染み深かったんだと思います。
練習を通じて次第にゴルフのおもしろさを感じるようになり、すぐに父がコーチを見つけてくれて、本格的な練習がスタートしました。
小学1年生の時には、学校が終わってすぐ車の中で夕食をとり、毎日母と一緒にゴルフの練習場へ向かい、6時から10時くらいまでゴルフの練習に励んでいました。

─7歳からその練習量とは本当にすごいですね。どのような思いで取り組まれましたか?

他の友達は遊んでいるのに、なぜ私だけゴルフの練習をしなければならないんだろうと疑問を感じることもありました。でも父と母が全力で練習をサポートしてくれたので、
なんとか踏ん張ることができたんだと思います。
そして、練習を始めて1年ほどたった頃、初めてのジュニア大会で3位入賞を果たしました。その後のジュニア時代にも多くの優勝を果たし、厳しい練習の意義を少しずつ理解できるようになり、より一層ゴルフに取り組むようになりました。

─中国ではジュニアの頃から活躍されていたんですね。

中国ではジュニア時代に36回の優勝を果たし、最多優勝記録を持っています。この記録は今でも破られていないようです。
そして、16歳の時にアジア大会で銅メダルを獲得したことがきっかけで、中国女子プロゴルフ協会(CLPGA)に登録され、プロゴルファーに転向しました。

セキ・ユウティン選手がゴルフボールを置いて前を見つめている
セキ・ユウティン選手が壁にもたれながら笑顔でこちらをみている

─すごいですね。その成功の要因は何だとお考えですか?

真面目に練習に取り組んだ結果です。
当時、中国ではまだ本格的にゴルフに取り組むジュニアゴルファーは少なく、先輩選手やコーチも少なかった。だから、自分で道を切り開くしかなかったんです。
母が私のためにゴルフコーチの資格を取得したりして、練習をサポートしてくれたおかげで、練習を積み重ねることができました。

─2017年からはJLPGAに参戦し、日本で活躍されていますね。

2016年には中国ツアーでプロ初優勝を飾り、賞金女王にも輝きました。
その後、次のステップとして、アジアのプロゴルフの中心地である日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)を選びました。JLPGAでは、QT(クォリファイングトーナメント)に参加し、上位入賞を果たしたことで翌年の出場権を確保することができました。

─JLPGAのプロテストに2019年に合格されました。
その後の日本での活躍の様子も教えてください。

日本のプロテストは非常に厳しくて、会計士や税理士の資格よりも難易度が高いといわれています。年に1回しか実施されず、800人以上が受験する中、合格者はわずか20人以内です。私は3度目の挑戦で合格しましたが、2度目の挑戦ではわずか1打差で合格を逃しました。
2019年はステップアップツアーで初優勝し、プロテストにも合格するなど、飛躍の年になりました。そして2020年にはプロとして正式にデビューし、JLPGA新人戦の加賀電子カップにて初優勝を果たしました。
2022年9月にJLPGAのレギュラーツアーで初優勝し、更に初のシード権を獲得することができました。

─中国と合わせるとプロ8年目ということですが、その継続の秘訣は何だと考えていますか?

中国でのジュニアやプロ時代は本当に順調でした。17歳の時に賞金王にも輝き、少しいい気になっていたところがあるかもしれません。
でも、日本に来てみて初めて、これは全く別世界だと気づきました。中国はゴルフの歴史が浅く、真面目に練習すれば成功できた。
日本はアジアでもトップで、世界で見てみてもアメリカに次ぐ2番目のステージであり、競争が激しい環境でした。だからこそ、ただ真面目に練習するだけでは足りず、メンタルトレーニングやスケジュール管理などの高度なスキルが必要でした。自分の進むべき「正しい道」を見つけるために、時間をかけて試行錯誤しながら前進してきた感じです。

中国の民族衣装を着るセキ・ユウティン選手

─ハイケムでは「We are the BRIDGE」という標語があり社員の行動指針になっています。
セキ ユウティン選手の日本と中国の間にかける
「We are the BRIDGE」について教えてください。

私自身が小さい頃に日本で育ち、今は日本でプロゴルファーとして活動しています。日本のファンの方々の熱意や優しさは本当にすごく励みになっていて、そのサポートが私のチカラになっています。私も頑張る姿を日本や中国のファンの皆さんに見ていただきたいなと思っています。

また、ソーシャルメディアを通じて、日本の素晴らしい風景や美味しい食べ物などを紹介したりもしています(笑)。最近は、久しぶりに中国に帰国した際に、中国の美しい景色を写真でインスタグラムにアップしたこともありました。日本のファンの皆さんにも中国の魅力を知っていただければと思っています。

先日のJLPGAアワードでは、中国の伝統的な漢服を着用しました。これは、中国の時代劇でも見かける美しい衣装で、日本の方々には馴染みの薄いものかもしれませんが、中国の文化を日本の皆さんに紹介する機会になったかなと思います。

─今後の目標を教えてください。

やっぱり、当面の目標は優勝です。
常に上を目指して、ゴルフのステージを広げていきたいです。変化を受け入れることは勇気が必要ですが、新たなステージに向けて自分の安全な領域を飛び越えて挑戦し、
失敗を通じて成長することが大切だと思っています。自分を信じて前進し、失敗から学び取ることで、より強く、成熟した選手になりたいです!

─ありがとうございます!これからも頑張ってください。応援しています!

自分を信じて前進し、
失敗から学び取ることで、
より強く、成熟した選手になりたい

セキ ユウティン